最上義光歴史館/館長の写真日記 令和5年12月10日付け

最上義光歴史館
館長の写真日記 令和5年12月10日付け

最上義光騎馬像の周囲もすっかり冬木立に


付近の植栽も雪吊り・雪囲いがなされました。

 今年も早いもので師走に入り、いろいろと年末年始の予定を立てている方もいるかと存じます。その昔、バブルの時代に「こどものための博物館」(チルドレンズミュージアム)建設の調査検討を担当していたとき(結局、計画断念となったのですが)、ともにその作業をしていただいた東京の先生に、お正月の過ごし方を尋ねたところ、年末年始はお客さんがくるのも煩わしいので、いつも旅館で過ごしていると聞き、そういう正月の過ごし方を初めて知りました。年末年始を海外で過ごす人も少なからずいた時代でしたが、旅館で正月を迎えると。東京のセレブ層あたりでは珍しくもない話かもしれませんが、山形のセレブ層の、いわゆる本家あたりの年末年始の過ごし方は、年末から正月をはさんで出入りする親戚縁者とダラダラ酒飲みをしているうち、いつの間にか三が日が過ぎてしまうとのことです。
 ということで、今回は温泉の話でも。戦国武将は戦(いくさ)の疲れと傷を癒すため温泉を活用し、場合によっては隠し湯なども確保していました。特にいくつもの隠し湯を持ったのが武田信玄、また、信心的に隠し湯を持ったのが上杉謙信です。戦国武将御用達の温泉地で有名なのは、豊臣秀吉の有馬温泉、徳川家康の熱海温泉、前田利家の草津温泉などがあります。
 まずは最上家のご近所の上杉家そして伊達家に関わる温泉宿のご紹介でも。
 南陽市赤湯温泉にある「上杉の御湯 御殿守(ごてんもり)」は、上杉家別荘「赤湯御殿」の伝統を守り380余年という温泉宿です。まずは到着時に「お着き酒」、夕方には地元ワインの試飲、上杉資料展示室や甲冑体験室、東に5つ西に6つの風呂、オーディオのある図書室や卓球台もあり、およそ温泉旅館に求められるものは何でもあります。別注ですが米沢牛のステーキ、しゃぶしゃぶ、すき焼きがリーズナブルな料金でいただけ、宿泊料金もあのHグループがリニューアルを手掛けた付近の老舗旅館の半額程度です。
 また、秘湯で人気の米沢市「白布高湯温泉」の西屋・中屋・東屋前の広場には、直江兼続が火縄銃を製造させたことを記す「直江城州公鉄砲鍛造遺跡の碑」が建っています。同じく米沢市の「小野川温泉」は、西暦834年に小野小町が開湯したとされ、1587年(天正15年)には、伊達政宗が23歳のとき足を骨折し、ここで湯治したというのですが、こんな記録まであるんですねぇ。
 その伊達政宗ゆかりの宿が宮城県青根温泉の「湯元不忘閣」。「青根御殿」と「御殿湯」に滞在した正宗が、この感激と喜びを忘れないように「不忘」と名付けたことが由来とされます。「不忘閣」主人の先祖は、慶長年間、伊達公から「湯別当」の高禄をもらい、代々藩主の保養所守りの役と、関守りを兼ねていたとのこと。伊達公ゆかりの遺品が三つもの蔵にあり、現在、建物の最上階を甲冑をはじめとする資料の展示室にあて、展示ガイドも行っています。
 ここは先程の「御殿守」とは対称的な温泉宿で、秘湯好きにはたまらない湯宿です。ひと風呂浴びたらラウンジへ。休憩室「喫茶去」という広間ですが、座布団が置かれたベンチが何台かあり、壁際には民具が飾られ昭和感あふれるアルミサッシの掃き出し窓が広がっています。部屋の真ん中には地酒「蔵王」の一升瓶が置いてあり、その脇には串刺しこんにゃくの味噌田楽と柿の種が置かれ、これが勝手に飲めるのですが、気が付くと3合ぐらいいってしまい、夕食を気にしなければ一升の半分もいってしまうのでは、というくらいに不思議に飲めてしまいます。
 風呂は大浴場の他に立派な蔵の中にある貸切り風呂と定員2人の階段下の小さな半露店風呂があり、料理も「政宗鍋」という雉鍋や季節によってはしし鍋や鹿鍋なとのジビエ料理が出されるなど、秘湯の醍醐味が満喫できます。この不忘閣と前述の白布温泉の宿は、以前に紹介した「日本秘湯を守る会」の会員宿です。
 さていよいよ、最上義光ゆかりの温泉やその資料・武具を展示している宿についてですが、実は当館学芸員もそういう湯宿は聞いたことがないとのこと。ただ、蔵王温泉には行っていたようで、「義光が16歳のとき、義守・義光父子が高湯(蔵王温泉)に湯治に行き、鹿狩りをして眠りについたところ、近辺の盗賊数十人が来襲した。義光は近習の者たちの先頭に立って防戦し、二人に深手を負わせ、一人と組み合って刺し殺した。この武勇に義守は喜び、笹刀と称した家宝の名刀を授けたという」(粟野俊之「歴史館だより8」)という逸話があります。まあ、蔵王温泉の場合、開湯1900年という歴史からすれば、最上義光は新参者ということかしらん。

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2023/12/10 13:00 (C) 最上義光歴史館