最上義光歴史館/館長の写真日記 令和5年10月28日付け その2
●
トップページ
■
お知らせ
■
最上氏と最上義光
├
最上氏と義光について
├
文化人最上義光
├
最上家をめぐる人々
├
小野末三論文集
├
片桐繁雄執筆資料集
├
最上家臣余録
├
郷土の歴史
└
最上義光略年譜
■
歴史館について
├
沿革と概要
├
収蔵資料について
├
書籍のご紹介
└
利用者アンケート集
■
Material in English
├
Guide to our Exhibits
└
Saijoki -
The Mogami Chronicles -
■
ご利用案内
├
アクセスマップ/所在地
├
開館時間/休館日/入館料
└
ボランティアガイド
最上義光歴史館
〒990-0046
山形県山形市大手町1-53
tel 023-625-7101
fax 023-625-7102
(
山形市文化振興事業団
)
館長の写真日記 令和5年10月28日付け その2
前回の続きです。何分にも連歌は全くの素人ゆえ、前置きばかりが長くなってしまいました。さてさて今回は、chatGPTではちょいと難しいであろう連歌の解釈の話でも。
最上義光の連歌の師は、里村紹巴(さとむら じょうは)という京都の高名な連歌師です。義光は式目について、聞き知ったこと、疑問に思ったこと、さらに連歌用語や歌言葉などを解説し、それを師の紹巴にみせ指導を乞いながら、文祿5年(1596、改元慶長1)に「連歌新式」(最上義光注、紹巴加筆)を著しました。時に義光51歳、紹巴73歳です。当時、義光は豊臣秀次事件に連座して、近江に流謫されていた身でした。また、紹巴も豊臣秀次事件に連座して、近江国園城寺(三井寺)の門前に蟄居中でした。秀吉から罪人として退けられた両名ですが、この時期、近江の地にて音信を通じていました。(片桐繁雄「歴史館だより��13」) 義光は他に「毎座不審の儀ども八百ヶ条」というのも記しているそうで、実はこちらの方が興味深いのですが。
それではようやく、最上義光が読んだ句の紹介を。慶長3年(1598年)4月19日に「賦何墻連歌(ふすなにがきれんが)」と題し百韻を里村紹巴などとともに興行したものから。ところでこの「賦何〇連歌」というのは、賦物(ふしもの、テーマ)のことで、「〇」の部分にはお題が入ります。つまり、この歌会のテーマは「墻」、いわゆる土塀です。
(発句) おる花のあとや月見る夏木立 義光
(脇句) 御簾のみとりに明(け)やすき山 紹巴
最上義光が発句ということで、この会の主賓ということです。里村紹巴が脇句ということで、この会の亭主、つまり主催者ということです。
問題はこの句の解釈なのですが、字面だけであれば、発句は「春の桜を手折って風流を尽し、今、夏木立の中に座り、遅く出た月を眺めている」となり、脇句は、「御簾ごしにこの光景を味わっていると、はやくも時は移り東の山の空が白み始めている」となります。
発句でいきなり「花」と「月」が読み込まれていて、なかなかに大胆です。もっとも、「月は出るにまかせよ、花は咲くにまかせよ」という式目もあるにはあるのですが。この句で視点は、「折る花」→「月」→「木立」とダイナミックに移っていますが、テーマである「墻」が浮かんできません。続く脇句は、「外を眺めていると、時が過ぎていきますね」というもので、どうしたものかと。
名子喜久雄山形大学名誉教授によれば、この句はその場で目にした光景であるとしつつも、この連歌会のひと月前の3月14日に、豊臣秀吉による「醍醐の花見」が挙行されており、「おる花」とはこの行事を踏まえている可能性があるとのこと。また、この3年前には秀次事件に連座し、義光は駒姫を失い、紹巴は近江国三井寺門前に追放さており、権力の怖しさを改めて意識せざるを得ない状況にあった。そしてこの「月見る夏木立」という情景描写は「源氏物語」のある場面の面影を詠み込んだものだと。(名子喜久雄「歴史館だより��28、29」)。ああ、そこまで読み込むものなのかと。
そして、もうひとつ、「賦何墻連歌」の終盤のやりとりを。
96 波も音そひかへる釣舟 喜吽
97 暮れはつる入江のむらは鐘なりて 景敏
98 やどりさだめぬ袖ぞものうき 義光
99 わかれつつまた誰をかはとひぬらん 紹由
96の「釣舟」の人々は、なりわいのためではあるが日々殺生を行うので、業の深いものとされていました。96に立脚して97では、罪業を滅消させる「鐘の音」を響かせます。夕景の中での釈教・無常の世界が展開されています。ここまでは叙景を詠んだ句ですが、97の無常を軸として98では恋の情趣も加味されています。紹由は、98の義光の情趣をとらえ、99で遊女が「別れた男は、今日、一体どのような女のもとを尋ねるか」と嘆く姿を詠んでいます。このようにして、無常の叙景から恋の嘆きに、連歌は展開しています。
つまり、釣舟の句が無情を想起させ、義光の句により遊女の嘆きになっていきます。ここで義光は、かなりの癖球を放り込んできている感じですが、実は「和漢朗詠集 遊女」の「白波のよするなぎさに世をすぐす 海人(あま)の子なれば宿もさだめず」という句から採っている、とのことです。(名子喜久雄「歴史館だより��24」) この句も古典から立脚していると。連歌恐るべし。
「賦何墻連歌」 終盤部分
(なんと、まだ続く →その3に続く)
2023/10/28 09:02 (C)
最上義光歴史館
■
人気の記事 Best 3
第1位
2026年8月 利用者アンケート集計結果
第2位
【義光会】山形霞城公園内の「血染めの桜伝説」は誰が作ったのか
第3位
【義光会】最上義康終焉の地を訪ねて
■
ダウンロード
├
歴史館だより
├
最上義光からの挑戦状!
├
見学の手引き
├
解説シート
├
スクリーンセーバー
├
壁紙/アイコンバナー
├
ペーパークラフト
└
日本100名城スタンプ
■
こどもページへGO!
■
周辺の見どころ
■
スタッフレポート
■
キーワード検索
2026年10月
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
※
赤丸
は休館日になります。
※当館はクーリングシェルターとして対応しております。
members login
powered by
samidare
system:community media