最上義光歴史館/館長の写真日記 令和5年4月28日付け

最上義光歴史館
館長の写真日記 令和5年4月28日付け
 最上義光歴史館の活動の一翼を担っていただいているのが、無償ボランティアで活動している「最上義光歴史館サポータークラブ義光会」の皆様です。先日、その義光会の総会がありました。現在登録いただいている方は43人。主な活動として展示ガイドを毎日2〜5名が交代で行っており、個人・団体を問わず小学生からインバウンドの来館者まで対応いただいています。その他、小学校の学習事業や観桜会などのイベントへの協力のほか、さまざまな研修活動も行っています。

 ある日、その会員の方から、時々、三の丸の堀跡の一部をウォーキングするイベントを行っているとのお話を伺いました。ちなみに三の丸の堀跡は一周約6.5kmあります。私自身、霞城公園の土手、すなわち二ノ丸の土手の上は、幾度か周回していますが、三の丸の堀跡の周回となると一度もありません。

 最上義光歴史館には、かつての城跡と現在の市街地とを重ねて表示している地図が展示されています(有料ですがパンフレットもあります)。それを見ると、三の丸の形跡をとどめている場所がいくつもあることがわかります。

 三の丸の遺構というと、まずは十日町の歌懸稲荷神社境内にある「三の丸土塁跡」があげられます。実は三の丸の土塁が現存しているのはここだけです。三の丸には11の門がありましたが、例えば済生館敷地の東側は「七日町口」で、確かに敷地に道路がどん突きになっていて、ここが門であったことが理解できます。「十日町口」「稲荷口」「下條口」などは現在も交差点として残り、その他の出入口もほとんどが道路になっており、三の丸の内外を通り抜けています。また、山形テルサ近くの「双葉公園」や七小北側の「みつばち公園」は三の丸の堀跡で、公園敷地形状が細長いのはこのためです。何気に三の丸の形状を活かしながら都市整備がなされていることがわかります。

 その他にもいろいろ痕跡があり、そうしたものを辿りながらの三の丸探訪が楽しめます。いよい黄金週間がはじまりますが、三の丸堀跡ウォーキングはどうでしょうか。ラーメン店、そば屋、甘味処なども所々にありますし。

 ちなみに当館には、三の丸跡の発掘調査に携わった職員がおり、「堀跡からは屋根瓦とか実にいろいろと出てくる。みつばち公園あたりは2mも掘れば、土師器・須恵器の類も出てくるかも。」とのこと。もちろん、公園管理者の許可が得られればですが。

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※ここで、三の丸豆知識
三の丸の堀と土塁が建造されたのは16世紀の最末期。その大きさは東西十四町五十間二尺(約1617m)、南北十四町十五間(約1553m)にわたります。
三の丸には、七日町大手口・横町口・十日町口・八日町吹張口・飯塚口・小田口・下条口・肴町口・小橋口・鯨口の11の出入り口がありました。なお、山形保健センター敷地内に「横町口」付近の石垣の一部が残されています。また、城西町には外堀沿いの小道が残されています(舗装されてはいますが)。
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歌懸稲荷神社側から見る三の丸土塁跡


双葉公園というとこの遊具で有名ですが、


三の丸の形跡もしっかり残っています。


長く伸びる「みつばち公園」 


城西町にある「外堀沿いの小道」
2023/04/28 09:43 (C) 最上義光歴史館