最上義光歴史館/館長裏日誌 令和8年3月10日付け

最上義光歴史館
館長裏日誌 令和8年3月10日付け
■ 卒業の歌の話
 まずは「人気卒業ソングランキング」というのをGoogleAIさんに教えていただきました。結果はつぎのとおりです。
 1位 3月9日 / レミオロメン
 2位 旅立ちの日に
 3位 正解 / RADWIMPS
 4位 友 〜旅立ちの時〜 / ゆず
 5位 YELL / いきものがかり
 6位 道 / EXILE
 7位 春愁 / Mrs. GREEN APPLE
 8位 さくら / 森山直太朗
 9位 手紙 〜拝啓 十五の君へ〜 / アンジェラ・アキ
 10位 遥か / GReeeeN
 う〜む。つっこみを入れようにも、ほとんど知らない曲ばかりで、なんともお手上げです。思うに学校の先生というのも、こんなヒットチャートを追いかけていないと、「好きな先生のランキング」などには入れないのかと、なんとも大変な話ではあります。
 ちなみに「3月9日」という曲ですが、メンバー共通の友人が「サンキュー(3月9日)」の日に結婚したことを祝福するために制作された結婚式ソングということです。つまり卒業の曲ではないのですが、この曲のミュージックビデオは、とある女子の卒業式が3月9日で、そのまま同日の姉の結婚式に行くというもので、新たなステージに立つという意味では卒業も結婚も似たようなものなのでしょう。参考までに、山形県の公立高校入試は、数年前まで3月10日と決まっていて、山形県内の大半の中学三年生にとって3月9日は、レミオロメンの曲など歌っている場合ではなかったのですが、今年は3月9日の前に入試が終わっており、いくらでも歌っちゃってください。
 さて、尾崎豊さんの他に「卒業」で思い出す歌となると、世代的には荒井由実さんの「卒業写真」でしょうか。ちなみに歌詞(作詞 荒井由実)の冒頭部分を引用しますと、
「悲しいことがあると 開く皮の表紙 卒業写真のあの人は やさしい目をしてる
 町でみかけた何も言えなかった 卒業写真の面影が そのままだったから」
というものですが、還暦をすぎてこれは違うなぁと思うのは、「卒業写真の面影が そのままだったから」という部分でして。この歳になると「卒業写真の面影」は「そのまま」ではなくなるのです。髪の毛の色や量ぐらいなら、あるいは肌のつやとか皴ぐらいならまだしも、歯がなかったり目がやさしくなかったりすると、別の意味で、町でみかけても何も言えなくなり、ひどいときには「あの人」であることも認知できず、これ自体が「悲しいこと」かと。もっとも、こちらもそうなっているので、お互い様ではあります。
 その卒業写真で問題なのが、なんらかの事件がおきると、この写真が世間にさらされることがあることです。容疑者や被害者の写真探しというのは、マスコミなどの新人記者さんが担当する大変な仕事のひとつだそうで、SNSや防犯カメラなどをあたっても何もない場合、やむを得ず出されるのがこの卒業写真のようです。なので、事件発生時が30歳過ぎぐらいであっても、学生服やセーラー服の姿で報道されたりするのです。
 ワイドショーなどでは、卒業文集まで辿られることもあり、「将来の夢」などが引き合いにされたりします。卒業当時は、よもやそんなものが世間にさらされることなど考えもせず、書きたいように、あるいは渋々書いていたりするわけです。そんな「将来の夢」と「現在の状況」との答え合わせまでされた日にはたまらんわけです。
 「将来の夢」というと、「スポーツ選手になりたい」とか「イラストレーターになりたい」とか、あるいは医者だったりユーチューバーだったりするわけで、なかには地方公務員というのもあるらしいのですが、それは夢でもなんでもなく、ただ、悪夢のような仕事はあり、最近では教員や警官もそんな感じのようで、なり手不足ではあります。労働には頭脳労働と肉体労働の他に感情労働というのがあり、この感情労働ではメンタル疾患が多いらしく。まあ、それでも夢は夢として、いろいろ選択肢があってもいいのですが、あるときTVを見ていたら、某男性アイドルが「海賊になりたい」と真顔で言っていて、それだけは考え直したらとは思いましたが。
 いっそのこと「将来の夢」としては、「SNSで大儲け」とか、「カジノで大儲け」とでも書いておけばと。なにかあったとき「ああ、やっぱり」と納得してもらえるし、そんな夢なら失敗しても「ああ、やっぱり」となるわけで。もちろん学校では、そんな指導はしないとは思いますが。でも近頃は、経済教育とかもしていることですし。

■ 戦国武将の格言の話
 「座右の銘」に関係して、戦国武将の名言というのを調べてみたのですが、ネットから拾ったものなので、出典が史料なのか歴史小説なのかわからないのですが、とりあえずご紹介します。まずはホトトギスの鳴かせ方で例えられる三英傑の方々から。
 織田信長 「必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ」 
 豊臣秀吉 「財産を貯め込むのは、良い人材を牢に押し込むようなものだ」
 徳川家康 「人の一生は、重き荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず」
 この中でも織田信長はキレッキレの名言が多く、例えばこんな感じです。
「器用というのは他人の思惑の逆をする者だ。」
「臆病者の目には、敵は常に大軍に見える。」
「仕事は探してやるものだ。与えられた仕事だけをやるのは雑兵だ。」
「人を用ふるの者は、能否を択ぶべし、何ぞ新故を論ぜん。」
「人城を頼らば、城人を捨てん。」
「恃(たの)むところにある者は、恃むもののために滅びる。」
「絶対は、絶対にない。」
ここで「恃むところにある者は〜」は、補助金だのみの業界への警句として、また、「絶対は、絶対にない。」は、原発業界への警句として、今に通じるものでもあります。
 一方、豊臣秀吉には、名言として残されているものは少なく、有名なものとしては「負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし。」というものがあります。しかしこれは、座右の銘としてはちょっと長いかなと。
 かたや他の武将を評した言葉はなかなかで、
「信長公は勇将なり 良将にあらず」
「家康は愚か者だ。が、油断のならない愚か者だ。」
「いくら謙信や信玄が名将でも、俺には敵わない。 彼らは早く死んでよかったのだ。」
と、どこぞの大統領にも劣らない発言もあるようです。
 そして、徳川家康ですが、幼い時からの苦労人であり、こんな言葉が残されています。
「不自由を常と思えば不足なし」
「勝つことばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。」
大体において、豊臣秀吉とは逆です。
 さて、戦国武将の中でとりわけ名言が多いのが武田信玄でして、特に有名なのが
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」でしょうか。そして「風林火山」ですね。色紙に書いても納まりがいいですし。他にもいろいろあります。
「一生懸命だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出る、いい加減だと言い訳が出る」
「百人のうち九十九人に褒められるは、善き者にあらず」とか「渋柿は渋柿として使え」などは、さすがカリスマ大将ではあります。
 同じカリスマ武将である上杉謙信にも、やはり名言は少なくありません。
「運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり」
「死なむと戦へば生き、生きむと戦へば必ず死するものなり」
「義とは、人が人としてあることの美しさよ」
 う〜む、哲学的ですらあります。
 そして、伊達政宗ですが、これが驚くほど名言が多い。まず伊達政宗の「五常訓」から。「仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。禮に過ぐれば諂(へつらい)となる。智に過ぐれば嘘を吐く。信に過ぐれば損をする。氣長く心穏かにして、萬(よろず)に儉約を用いて金銭を備ふべし。儉約の仕方は不自由を忍ぶにあり。此の世に客に來たと思へば何の苦もなし。朝夕の食事うまからずともほめて食ふべし。元來客の身なれば好き嫌いは申されまじ。今日の行くをおくり、子孫兄弟によく挨拶をして、娑婆の御暇(いとま)申すがよし」以上、儒教の徳目「仁・義・礼・智・信」の行き過ぎを戒めたものでありますが、部分的に切り取って座右の銘とすることもでき、例えば「朝夕の食事うまからずともほめて食ふべし。」なども立派な格言になると。他にも、
「大事の義は、人に談合せず、心に究めたるがよし。」
「物事、小事より大事は発するものなり。油断すべからず。」
「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である。」
「まともでない人間の相手をまともにすることはない。」
「茶器を割ったのではない。自分の器量の小ささを割ったのだ。」
「言葉は心の鏡なり。心に偽りなければ、言葉にも偽りなし。」
「人生は短い。だからこそ、美しく生きなければならない。」
 特に最後の3つは美学ですらあります。
また政宗の言葉として、「成功は努力の産物である。天は自ら助くる者を助く。」というのもネット上にはありましたが、「Heaven helps those who help themselves」という早口言葉のようなものもありまして、はて、どちらが先なのか。

■ 座右の銘
 座右の銘というわけではないのですが、修学旅行客向けの土産物などで、「友情」とか「感謝」などの文字が入ったカップや置物が売られていますが、ちょっと謎なのが「人生」と書いてあるものでして、それはペン立てだったりTシャツだったりするのですが、さて、これはつまりどう理解すればいいのかと。
 「人が生きる」と書いて「人生」となるわけですが、それが「人間」という言葉となると「人の間」ということで、わかるような、わからないような言葉になってまうわけで、とある辞書によると、「ニンゲン」と読めばヒトのことで、「ジンカン」と読めば世間のことで、「人間至る所青山あり」は「ジンカン」と読み、「人間万事塞翁が馬」は、「ニンゲン」と「ジンカン」、どちらで読んでもいいそうです。
 また別の言葉に「人事」というのがあり、特に春先などで気にする人も少なくないかと思いますが、以前務めていた職場で、これでメンタル不調になった職員がいまして、「あれはヒトゴトだから」と、自分を納得させるように言っていました。座右の銘が「人事(=ヒトゴト)」。意外に深い人生訓かもしれません。
 これも以前の職場での話ですが、管理職層の研修で、座右の銘を語るという課題がでまして、まさか市長がそれに目を通しコメントするなどとはつゆ知らず、出したのが「明日には明日の風が吹く」と「喫茶去」というスカした言葉でした。案の定、これはどういう意味なのか説明しろ、と言われたわけでして。やはりこういうときには、山本五十六とか相田みつをなどの言葉でやり過ごすのが無難だったわけですが、どうもその時の気分がこんな言葉だったわけでして。とにかく「敬天愛人」とかでは気が引けますし。
 さてさて、「喫茶去」とは、そのままの意味であれば「茶を喫して去れ」つまり、「お茶を飲んで去りなさい」ということで、まあ、そう言いたくなるお客さんもたまにはいるのですが、今では「まずはお茶でもどうぞ」という意味で使われています。
 この由来は、「趙州禅師という人のところに修行僧が訪ねてきた際、趙州は「ここへ来たことがあるか?」と問い、「ない」と答えた僧に「喫茶去(お茶を飲んでいけ)」と告げました。別の日、同じ質問に「ある」と答えた僧にも、同様に「喫茶去」と告げました。不思議に思った院主(寺の管理者)が尋ねると、趙州は「院主、お茶を飲んでいけ」と返しました。」という「趙州録」にある故事で、相手が誰であれ分け隔てなくもてなし、また、お茶でも飲んで雑念を取り払って戻れ、という意味とのことです。つまりは「いつでも・どこでも・誰にでも、同じ心でお茶を点てる」ということで、これは公共機関の基本でもありまして、以前に紹介した「エルメス暗黙のルール」とは真逆の部分であります。
 20世紀末までは、来客に対しては、お茶を出してから要件を伺ったりしていました。つまり、役所のようなところは来たくて来ている人などまずおらず、大抵はやむを得ず時間を割いて来ているわけで、そこでお茶の一杯でもあれば話も多少滑らかになろうか、ということではあります。以前は、接遇の研修などで、お茶の出し方の実習やらビデオ学習やらがあったのですが、合理化ということなのでしょう、昨今はお茶を出すこともなく、その出し方もわからず、コスパとかタイパとかを求める人にとってはむしろ余計なことかも知れず、難しくはあります。

■ 「茶の本」の話
 この「喫茶去」という言葉が浮かんだのは、実は当時、茶や茶道具や茶室関係の本に興味関心をもっていて、そのような本の端々で目にした言葉でした。また、岡倉覚三(天心)の「茶の本」について、もっと若い時にしっかり読んでいたらなぁとか、でも、若い時は内容を理解できてなかったかもなぁとか、いろいろ思ったときでした。
 例えば、この本にはつぎのような文言があります。
「茶には酒のような傲慢なところがない。コーヒーのような自覚もなければ、またココアのような気取った無邪気もない。」
「茶道は美を見いださんがために美を隠す術であり、現わすことをはばかるようなものをほのめかす術である。」
 易しいような、でも、それなりの感性や経験も求められるような内容です。
 「茶の本」で、特に心にささる語句が、「beautiful foolishness of things」という語句で、この「茶の本(The Book of Tea)」というのはもともと英語で書かれており、特にこの語句をどう訳すか、センスが問われるのですが、直訳すれば「物事の美しき愚かさ」。物事の魅力というのは美しくも愚かなことにあるということで、確かに「バカだねぇ」というのが最高の誉め言葉だったりします。
 この語句が含まれる第1章「人情の椀(The Cup of Humanity)」の有名な終末部分を引用します。
 Meanwhile, let us have a sip of tea. The afternoon glow is brightening the bamboos, the fountains are bubbling with delight, the soughing of the pines is heard in our kettle. Let us dream of evanescence, and linger in the beautiful foolishness of things.
 この村岡博訳はこうです。
「まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。」
 常々このような境地でいたいものだなぁ、と思うわけです。

 ちなみにこの前段には、つぎのような文章があります。
「現代の人道の天空は、富と権力を得んと争う莫大な努力によって全く粉砕せられている。世は利己、俗悪の闇やみに迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利のために行なわれている。東西両洋は、立ち騒ぐ海に投げ入れられた二竜のごとく、人生の宝玉を得ようとすれど、そのかいもない。この大荒廃を繕うために再び女媧(じょか:Niuka)を必要とする。われわれは大権化(ごんげ:Avatar)の出現を待つ。」
 ここで、女媧とは中国神話に登場する創造母神で、権化とは「神の化身」ですが、それはさておき、状況的には現在とよく似ている感じです。いわゆる「ドンロー主義」により某政権は、西半球の支配と権益確保を最優先するとしており、一方、東半球は中国による覇権もやぶさかではない感じで、両者はまさしく「立ち騒ぐ海に投げ入れられた二竜」のような状態です。
 それにしても、東半球とか西半球とかはあまり聞き慣れない言い方ですが、とりあえずイギリスのグリニッジを通る本初子午線(経度0度)を境界とするとのこと。ここで問題なのは日本の位置づけで、現在、政治的には西ですが、地理的には東であり、アメリカにとって日本列島は「万里の長城」のようなものですが、この先どうなることやら。西や東とともに、ついでに右とか左とか中とかも。
 確かに日本の位置関係を表すときは、極東という言われ方をしていまして、日本駐留米軍の放送もかつてはFEN(Far East Network:極東放送網)と称していました(現在はAFN(American Forces Network))。でも、アメリカから見れば日本は西の方向のような気もするのですが。どっちかの西は東というか、どっちかの夜は昼間というか、それはやはり「U.S.A」というわけでして。

2023/03/10 09:00 (C) 最上義光歴史館
キーワード検索
2026年03月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031

赤丸は休館日になります。
※当館はクーリングシェルターとして対応しております。
members login
powered by samidare
system:community media