最上義光歴史館/館長裏日誌 令和6年12月28日付け

最上義光歴史館
館長裏日誌 令和6年12月28日付け
〇 クリスマスカードの話
 今年の暮れはクリスマス大寒波で、山形市内にもそこそこの雪が降り、当館前の公園には、雪の重みで折れた桜の小枝などが地面のあちこちに転がっていました。文字通りホワイトクリスマスだったわけですが、戦国時代を取り入れたクリスマスカードを作るとしたら、どんなメッセージがいいかという話になり、当館学芸員からでてきたのが「厭離穢土欣求浄土」という文言です。
 国際情勢からすれば、まさしくこのとおりではありまして、ネット上でも第三次世界大戦はすでに始まっているという記事が、Fという経済誌(毎年の世界長者番付の記事で有名な某誌)にでていました。その寄稿者のBryce Hoffmanさんは、
 「今起きている一連の紛争は、一見するとそれぞれ別個の紛争に見えるかもしれないが、単一の包括的な世界規模の紛争の構成要素と認めるべき性質をいくつか共有している。具体的には、大国が直接または代理勢力を通じて関与していること、政治的・経済的・イデオロギー的な目的が複雑に絡み合っていること、ひとつの紛争が他の紛争に芋づる式に影響を及ぼし、不安定化の連鎖を引き起こしていることなどである。
 こうした相互に関連した危機は、第一次・第二次世界大戦の初期とよく似ており、局地的な紛争と世界規模の紛争の境界を侵食して、支配と生存をかけたより広範な闘争へと国家や同盟国を引きずり込んでいく。これこそ、個々の戦い以上に世界大戦を定義づけるものだ。」と、指摘していて、
 「紛争の性質と規模がますますグローバル化しているとはいえ、この第三次世界大戦は、前世紀の2つの世界大戦とは大きく異なるものになるだろう。かつてカール・フォン・クラウゼヴィッツが『戦争論』に記したように「どの時代にも、その時代特有の戦争、特有の制約条件、特有の奇妙な先入観がある」のである。」と言っています。
 この特有のものとは今日の場合、皆様お気付きのとおり、情報戦のことかと思います。前線では塹壕を掘って火器でドンパチという状況は変わらないものの、衛星回線(そう、あのマスクさんが関わる衛星)やドローン映像・操作などの情報通信が戦を決する状況となっています。北の国の兵士がいくら体を鍛え痛みに耐えられるとしても、その時代特有の戦争に応じたものでなければ、かつての某国の、史上最大の戦艦が戦闘機に沈められ、竹鎗三百萬本で大型爆撃機に立ち向かおうとしたようなものです。そして、「特有の奇妙な先入観」をつくるのはきっとSNSなどではないかと。ただ、F誌は経済誌だけあって、第三次世界大戦なので経営者は心せよ、という論説にはなっています。
 なんかあらぬ方向に話がとんでしまいましたが、その、クリスマスカードのメッセージをどうするのかという話でして、そもそもは「世界人類が平和でありますように」という文言から、戦国時代ならばそれは「厭離穢土欣求浄土」ではないか、という話になったものです。それにしても、キリスト教の行事に仏教の教えを持ち込むという、平和と言っちゃ平和な話ではあります。


↑今年のクリスマス前後の歴史館界隈(←流行語のようですが)の写真です。



〇 某GTPの話
 某館の学芸員が愛読する「〇―」の1月号は、さすが新年号だけあって昨今のネタ総ざらいといった感じで、私も実は思わず買ってしまったのですが、そこに「アンパンマンはイエスキリストだった」という記事がありました。あ〜、ついにこんなことまで、と思いつつ読み進めると、意外にも辻褄が合っていて、納得させられるものがありました。
 聖書では、イエスが食卓でパンを取り,それを裂き,これは私の体であると言って弟子たちに分け与える話があります(マタイ26)。アンパンマンも「さあ僕の顔をお食べ」と言って自分の体の一部であるパンを分け与えることから、そのような記事となったようです。この話、実はこの雑誌が唐突にぶちあげた話でもなく、作者のやなせたかしさんはクリスチャンであり、特に全国のミッション系学校の礼拝では、アンパンマンのモデルはイエス・キリストである、という説話がなされているようです。
 これから、それでは三位一体、つまり父や聖霊は、どのキャラクターになるのだという話になり、父は「ジャムおじさん」が、聖霊は「めいけんチーズ」があてはまるのでは、ということになりました。ちなみにアンパンマンワールドでは、ジャムおじさんもめいけんチーズも「妖精」となっています。無理を承知であてはめれば、バタコさんはマグダラのマリアか。一方、ネット情報では、めいけんチーズはバイキンマンの手先である、という説もありました。それでは、裏切者のユダはどうなのだと、「アンパンマン 裏切者」で検索したところ、カバオくんという説が出てきました。あっ、そうなのかと。いやいや、こんな論陣を張ったところで、世の中の役に立つわけでもないのですが。
 ちなみに某GTPを利用し、「アンパンマンはイエスキリストだった」というイラストを求めたところ、「宗教的な人物の描写には宗教的な感受性が伴います。このテーマを元にしたイラストを生成することは、慎重に考慮するべきです。」という、神の声のような答えが返ってきました。
 さらに話題は、「ドラえもんは弥勒菩薩である」という説にまで発展しました。弥勒菩薩は、釈迦仏が入滅した後、約56億7千万年後に地上に現れれる「未来仏」です。一方、ドラえもんの誕生日は2112年9月3日ということで、まあまあの未来からの使者です。どちらも衆生を救うことで一致しているわけで、調べてみるとネットにこの説が既にあがっており、そこでまたもや某GTPに「ドラえもんは弥勒菩薩である」というイラストを求めたところ、「画像の生成に問題があったようです。もう一度試すか、説明を調整してください。」と、しかも英語で返ってきました。やはり罰当たりなリクエストだったようです。
 いずれも無料で試した結果なので、某GTPによる画像生成はできないのですが、画像生成をリクエストするのには月額3千円 が必要で、さらに何でも答えてくれる(?)pro仕様は月額3万円とのことですが、当館においては当然そんな予算もなく、無料お試しで画像生成を求めた場合は、文書でそのイメージを返してくれます。
 それで、「最上義光と義姫のイラスト」というのをリクエストしたところ、文書のみですがかなり丁寧な描写が返ってきました。ただ、ちょっと見過ごすことができない記述がありました。まず、義光を「よしみつ」と、その読みをわざわざ表示していました。これはまあ、アルアルではありますが、もう一つ、何の情報から得られたのか不明なのが、「義姫は義光の妻」であるとの説明。義姫は義光の妹で伊達政宗の母なのですが、恐らくは義光と同じ義の字からの連想で、義光姫=義姫とでもなったのでしょうか。AIの限界と言うべきか、当方の知名度の問題と言うべきか、まあ、そんな状況ではあります。
 AIが仕事を奪う、ということがしきりに言われていますが、一方ではAIをチェックするのはやはり人が行うべきで、それには高度な知識経験が求められる、という説もあります。別に「義光はよしあきと読む」とか「義姫は最上義光の妹」とかは、高度でもなんでもないのですが、それでも誰でも知っていることでもないため、あえなくスルーしてしまうレベルなのかもしれません。義光を「よしみつ」と読むのはごく常識的ではありますが、最上義光とした場合は「よしあき」と読む、AIにそれができるようになるまでは、今のこの仕事はまだ安泰かもしれない、ということではあります。
 そしてまた、「世界人類が平和でありますように」から「厭離穢土欣求浄土」を発想するということも、AIにはなかなか難儀なことかと。こうしたところに人が入りこむ隙間はまだまだあるようです。

〇 ファクトチェックの話
 このSNS隆盛の社会で、なによりもまず求められるのがファクトチェック(事実確認)です。例えば「アンパンマンはイエス・キリストだった」という話は、本当にやなせたかしさんがこれを意識してキャラクターを設定したかもしれず、また、少なからぬミッションスクールで語られる話となれば、ファクトチェックが求められるところですが、先ほどの「カバオくんはユダ」という話は、さすがにファクトチェック以前のことでしょう。一方、これが「イエス・キリストはアンパンマンだった」という話になってしまうと、もうこれはAIの言うとおり、慎重に考慮すべき問題として扱わなければなくなるかもしれません。
 ファクトチェックのためのAIというのも恐らくあるとは思いますが、ディープラーニングに用いた資料が同類であれば、そのチェックにも限界がありそうで、そこで重要になるのは人の多様性であったりします。まあ、平たく言えば、金子みすゞさんの「みんなちがってみんないい」というか、相田みつをさんの「他人のものさし 自分のものさし それぞれ寸法がちがうんだな」というか、そういうものが大事になるようでして。
 そこで思い出したのが、映画「ブレードランナー」に出てくるレプリカント(アンドロイド)を見分けるシーンです。いろいろな質問をして感情反応があるかどうかで見分ける、フォークト=カンプフ検査というのだそうですが、その質問には動物に関係するものが多いと、原作の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」にあります。
 例えば、それが食べられるかどうかを質問するわけで、牡蠣の生食はいいとして、ホヤやナマコはどうかとか、ウサギやハトは食べてもイヌやヘビはどうかとか。イナゴは食べても鈴虫は食べないとか。ご承知のとおり、特に食文化というのは多様でして、理屈では食べられても、感情的には人それぞれで、このあたりがAIの課題になろうかと。つまり文化的な背景とか常識とかをどうするかという、ここに人が介在する必要性がでてくるわけです。
 もうひとつ、なりすましとかディープフェイクとかの問題があります。それらについては、既に多くのメディアなどで問題が指摘されていて、なにもここで素人の私が云々する必要もないのですが、最近こんなことがありました。
 当館の企画展「シン・市民の宝モノ2025」にむけ出品を受け付けている最中の話ですが、陶磁器製の最上義光像があるとして持ち込んだ方がいて、荷ほどきをすると、正に「山形県史談」にある最上義光の図とそっくりの像が現れ、おおっ、どこでこんなものを作っているのだ、と皆で眺めていたのですが、当館学芸員が、「あ〜これ、加藤清正だ」と指摘。その理由は、「虎の敷物に乗っている」とのことで、多分、武者人形のようなものではないのか、ということで落ち着きました。なんか、武将ものは、髭を付けるとみんな同じ感じになるようで、ただ、虎の毛皮ならば加藤清正の持物という、宗教画のような判別ができるわけです。別にこれはなりすましとかディープフェイクとかではないのですが、ファクトチェックの一例のようなものかと。


「山形県史談」最上義光像 
来年もよろしくお願いします。






2021/12/28 16:00 (C) 最上義光歴史館
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