最上義光歴史館/館長裏日誌 令和6年6月6日付け

最上義光歴史館
館長裏日誌 令和6年6月6日付け
■山寺と延暦寺の話
 伊達稙宗(伊達政宗の曽祖父)が永正17年(1520)に天童を攻めてきたときに、山寺の衆徒らが伊達方に加担したことを恨んで、大永元年(1521)天童頼長・成生十郎両氏が山寺に攻撃をして灰燼に帰してしまいます。この時不滅の法燈が焼失してしまったため、天文12年(1543)立石寺の一相坊圓海は、4月に比叡山に登拝し、6月に根本中堂の燈火を分火してもらい、海上を輸送した後に立石寺に納火しました。この燈火は天正13年(1585)、信長の焼き討ちにあって焼失した比叡山根本中堂の再建時に、今度は立石寺側が登拝し逆に分燈しました。ゆえに、山形から比叡山に詣でると丁重に扱われるそうですが、もしかしたら山寺の御朱印帳がプライオリティパスのようになるかもしれません。どんなプライオリティかはよくわかりませんが。ちなみに、山寺を麓から奥の院まで巡ると、実に12か所の御朱印を頂くことができます。
 焼き討ちにより山寺は「寺中家無一十余年、其間堂社破」の状況にありましたが、天文3年(1544)の立石寺日枝神社の修造などに、最上宗家だけでなく一族の総力を挙げて再興していきます。最上義光は慶長4年(1599)に、立石寺納経堂を修造しています。義光の時代の分限帳によれば、寺領1,300石が与えられています。このように最上家が山寺を崇敬し、保護するという関係は、最上家が国替えされるまで続きました。

■鬼門の起源の話
 鬼門の起源は、古代中国の説話や歴史上の情勢など諸説あります。紀元前5世紀頃、古代中国では度重なる東北地方からの異民族による侵略や殺戮に苦しめられたため、異民族を「鬼」と呼び、それらが来る方向を「鬼門」と称したという説や、「東海の度索山という地に、大なる桃の三千里に渡って曲がりくねる樹があり、その低い枝が東北に向かうを鬼門という。」と「山海経」という博物書にあるとする説などです。
 ただし、この鬼門に関する記述は現存する「山海経」には含まれておらず、後漢の王允「論衝」訂鬼篇の中で引用した「山海経」にのみ存在しているとのこと。この「山海経」は、古代中国の戦国時代(紀元前403年)頃から前漢時代(紀元前206年〜8年)に徐々に加筆されて完成したもので、中国を取り巻く全方位の山河大海に住む人々や生物、その風俗や生態、そしてその地に伝わる神威や妖怪などを記録した博物書です。現在、平凡社ライブラリー(解説は水木しげる)のものが手軽に入手でき、とにかく妖怪などの図版がやたら面白い本です。

■一般住宅の鬼門対策の話
 一般住宅の家相では「三所に三備を設けず」と言われます。三所とは「鬼門、裏鬼門、宅心(家の中心部)」のことで、三備とは「玄関、台所、トイレ」のことです。つまり「鬼門・裏鬼門・宅心には、玄関・台所・トイレを設けてはいけない」ということです。
 あるネット情報によると、「鬼門・裏鬼門の方角は時間帯によっては気温が上がり、冷房のないトイレは不快な空間になるでしょう。 裏鬼門の方角に台所があると、日が差し込んで食べ物が傷みやすくなります。 また、冷え込みが厳しい冬場にはトイレ・浴室などは他の部屋との温度差が大きく、いわゆる「ヒートショック現象」が起きやすくなります。」とのことです。
 また、別のネット情報によると、「一般的に鬼門には正方形の部屋があるのが理想と言われています。この方角に門や玄関、窓がある場合は、東北・南西の方角からは日差しや冷たい風にさらされないよう注意しましょう。特に換気をするとき以外はすぐ閉めるのがベストです。窓には遮光カーテンがあると日差しや冷風対策になるでしょう。」ともあります。
 それでは鬼門・裏鬼門に玄関・台所・トイレがある場合はどうすればよいのかと言うと、これもネット情報によると、「神社の護符を貼る。お祓いをしてもらう。盛り塩をする。トゲのある植物を置く。掃除・整理整頓も効果的と言われている。」のだそうです。

■怪力乱神を語る話
 「務民乃義、敬鬼神而遠之」は「民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく」と読み下します。これは弟子からの「知とは何か」との問いに孔子が答えたものです。ここで「民の義」とは何かということも難題で、民の正義と読んだり、臣民と読んだり、実はいろんな意訳がありますが、まずは「暮らしを善くする」というものではないかと。ちなみに「敬してこれを遠ざく」は「敬遠」という言葉の語源になっています。「知」を問うて、「敬遠」という故事成語が生まれるという、かなり斜め上な問答でもあります。
 また、孔子は怪力乱神を語らなかったそうですが、これを商売にしている人もまた少なくありません。博物館業界もそうです。とりあえずは民俗学的な見地から取りあげるのですが、お客さんの大半は興味本位でやってきます。
 山形県の北東(鬼門?)に位置する某県は、怪談奇談を含めた民話の宝庫で、河童だけでも商売が成り立つほどです。その県内にある某市立博物館では、昨年「呪術」をテーマとする企画展を開催し、その図録資料はたちまち売り切れ、あまりの人気に増刷までしました。また、同県の某歴史文化館の収蔵資料図録の第一号は、河童の絵巻「水虎之図」だけをまるごと収録した立派な冊子です。とにかく集客力があるのです。なんともうらやましい。
 そして何を隠そう山寺にある某博物館でも、6月14日から「妖怪」展が開催されます。そもそもは修験道開祖の役行者(えんのぎょうじゃ)から辿る綱渡り的な企画展示から始まったものですが、回を重ね今や年間最大の来館者が見込める企画展となっています。
 ちなみに、怪力乱神を語ると言えば稲川淳二さんですが、今年も元気に『怪談ナイト』で全国を巡るようです。予定では秋田、岩手、仙台(8月13日、怪談の日)、福島、新潟と山形県に近接するすべての県を訪れる予定ですが、なぜか山形だけが避けられています。山形も当然「怪力乱神を語らず」という孔子のような人ばかりではなく、むしろそれを飯のタネとしている人もそれなりにいるのですが。


近日公開!!
企画展「妖怪 −“もののけ"の表現、江戸時代から現代まで−」
6月14日〜8月29日 山寺芭蕉記念館




2021/06/06 06:06 (C) 最上義光歴史館