▼館長の写真日記 令和6年1月11日付け
 旧暦の1月18日(太陽暦の2月26日)は最上義光公の命日です。慶長19年(1614年)に69歳でなくなりました。当館では太陽暦の1月18日に義光公を偲ぶとともに来館者の皆様に記念品を差し上げております。
 義光は慶長16年3月23日に従四位上近衛少将に叙任されましたが、その年あたりから体調がすぐれず、「徳川実記」には「少将背任の後、久しく病に臥しける」とあります。しかしながら、亡くなる前年には世話になった徳川家康を訪ねて駿府に行き、家康からは薬や夜着を授かり、将軍秀忠からも見舞いの言葉や土産物をもらいました。
 さて、命日とともに話題となるのが辞世の句です。連歌を得意とする義光公にもちろんあります、と言いたいところですが、これがちょっとわけありです。
 「政隣記」という加賀藩政を天文7年(1538年)から文化11年(1814年)まで編年体でまとめた史書の中に、「最上駿河辞世并詠歌」としてつぎのようにあります。
 「一生居敬全 今日命帰天 六十余霜事 対花拍手眠
   有といひ無しと教へて久堅の月白妙の雪清きかな」
 まず、最上駿河というのは義光の次男である駿河守家親のことです。漢文部分は「一生居するに 敬を全うし 今日 命 天に帰る 六十余霜の事 花に対(むか)い 拍手して眠らん」と訳せます。ここで家親は36歳で没したので「六十余霜」とは合いません。また和歌部分に「久堅の月白妙の雪」とありますが、家親は3月6日(太陽暦4月11日)に亡くなっているので、歌の景色からほど遠い。よってこの句は、義光の作と見て誤りあるまい(片桐繁雄「歴史館だより28」)とのことです。どうも隔靴掻痒な感じもしますが、義光の辞世の句に関わる文書はこれのみです。
 ここでいくつか有名人の辞世の句のご紹介でも。
 辞世の句で真っ先に思い浮かべるのは、松尾芭蕉の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」ですが、これは亡くなる4日前に詠まれたもので、辞世の句であるかどうかは諸説あります。あと有名なのが、織田信長の「是非に及ばず」。これを辞世の句と言うか、ただの返事と言うか、難しいところではありますが、少なくてもその命日は、戦国武将の中ではもっとも有名ではと思われます。
 続けて、秀吉公、家康公の辞世の句を。
豊臣秀吉「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
徳川家康「先に行く あとに残るも 同じこと 連れてゆけぬを 別れぞと思ふ」
 秀吉は自分の思い出を詠んだのに対し、家康は将来にむけて持続可能な組織を願った句となっています。当時は、亡くなった主君のあとを追い、その家族や家臣が自刃するという習わしがありましたが、「連れてゆけぬを 別れぞと思ふ」には、家康が家臣達にこの風習に習わないように伝えている、という説があります。ちなみに家康の2年前に最上義光は亡くなっているのですが、義光の葬儀(2月6日)が終わった時に、4人の家臣と2人の家来が殉死をとげています。
 また、辞世の句で「人気が高い」というのもなんですが、そういう評価の句としては、細川ガラシャの「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」というのがありますあー、なんとも美しくかっこいい、惚れ惚れします。
 これと対照的なのが、小野小町で、「あはれなり わが身の果てや 浅緑 つひには野辺の 霞と思へば」。意訳すれば、荼毘にふされて浅緑の煙となり、野辺の霞となるわが身を想う歌で、自然の理そのものというか素直な句ではありますが、在りし日の自分への執着を歌ったと解すれば、美人とはこういうものかとも思える歌です。
 そして、いつものようにあの御両家のご紹介を。
上杉謙信「極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし」
伊達政宗「曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く」
もうどちらも、戦国武将のお手本のような句ですが、なぜか「月」つながりです。もっとも謙信については「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一杯の酒」というが有名ですが。
 では再度、最上義光の辞世の句とされるものについて。
 「有といひ 無しと教へて 久堅の月 白妙の雪 清きかな」
 なんとここでも「月」がでてきます。しかし、この句は戦国武将らしいというより、哲学的な句です。
 まずは「有といひ 無しと教へて」ですが、片桐繁雄著「戦国の明星最上義光」では「自分の生涯に意味があるのか、ないのか。どちらでもよかろう。すべては「空」だ。そう教えて」とありますが、このように深く読むべきか、それとも「是々非々を説いた」、平たく言えば「いろいろ言ってはきたけれど」程度に解してもよいのか。
 続く「久堅の月 白妙の雪 清きかな」は、前出の著作には「月は白々と冴え渡り、その光を受けて雪はひたすらに清らかだ」とあります。ここで「久堅」は、「ひさかた」という天・空・光などにかかる枕詞ですが、実は意味がわからない言葉です。そして「白妙」は白い布のことで、その色から、雲、雪、波などにかかる枕詞です。なので、ここは素直に「光る月や白い雪の、なんと清いこと」と読んでもいいのではとは思うのですが、いずれにせよこれは冬の情景描写であるとともに、義光の心象風景でもあります。
 これを月の光や雪の白さの清らかさを詠んだとすれば、この句のテーマはずばり「光」となります。さらに言えば、月の光も雪の白さも反射光です。まあ、反射光ということまで意味を求めるものではないにせよ、古今東西、旧約聖書から宇宙物理学まで、世の中は光が有ることから始まります。それを辞世の句にもってきたのは、さすが義「光」公と申せましょう。


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(館長裏日誌→ に続く)



2024/01/11 17:15:最上義光歴史館

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