▼最上義光連歌の世界E 名子喜久雄
最上義光連歌の世界E

1 おる花のあとや月見る夏木立      義光
2  御簾のみとりに明(け)やすき山   紹巴 

  慶長三年(一五九八)四月十九日
   賦何墻連歌      初折の表

 前回での予告の通り、前回と同じ付け合いへの別角度からの考察である。
 前回においては、義光の発句を中心に、この連歌が興行された慶長三年四月ごろの世情を関わらせての考察を行った。本稿は後述する二つの観点に立ち、古典文学との関係を論じたい。
 再度、この付け合いの大意を示す。発句は、「桜を手折り春の風雅を尽した後、今ここに夏木立の中で月を楽しんでいる」となる。脇句は、「御簾ごしにこの光景を味わっていると、はやくも時は移り東の山の空が白み始めている」となる。この付け合いは、その場の連衆が目にした光景であることは、連歌の作法からも、そう判断して良かろう。ただしこの付け合いを鑑賞する時には、以下に示す二つの観点を必要とすると思われる。
 第一の観点は、古典和歌・連歌・俳諧を詠む時の基本的創作態度である。藤原定家は「京極中納言相語」で、「光景を詠む折には、それを『玉の砌(みおぎり)』と思って詠め、恋を詠む折には、我身を在原業平の振舞になぞらえて詠め」と語っている。光景を詠むに際しても近代のリアリズムとは異なった思考なのである。
 第二の観点は、「面影(おもかげ)を取る」詠法である。「本歌取り・物語取り」のように、明白に過去の作品・場面に基づいている訳ではないが、何とはなしに作者が意識したと想像される作品・場面を鑑賞者に想起させるという方法である。いずれも古典作品を尊重した詠法である。
 以上の観点に立った時、どのような作品・場面を想定すれば良いのであろうか。「初夏の若葉の木立の中、人々が月を愛で時の移ろいを楽しむ場面」は、種々の古典の中に求められよう。ここでは、その一例として「源氏物語・花散里」の一場面を示したい。

 朧月夜内待(兄・朱雀院の実質的后の一人)との密事が露見して、光源氏は東宮(後の冷泉帝・実は源氏の子)を守るためにも、政界から身を引き都を離れることを決意する。そんな折、彼は関わりのあった女性である花散里(夏の女として描かれる)の許を訪れる。途上、中川の辺りで、かつて縁のあった別の女性の家の前を通りすぎていることに気がつく。訪問の意を伝えるが、女はそれを拒む。その後、父・桐壷帝の女御の一人であった麗景殿女御(花散里の姉君・同居している)の邸に着く。(そこで、以下の記述がある)
 
 まづ女御の御方にて(桐壷帝治世の)昔の御物語など聞えたまふに、夜更けにけり。

 二十日の月さし出るほどに、いとど木高き影ども木暗く見えわたりて…
(下線筆者)

 「夏木立」の語そのものはないが(「源氏物語」全体や「八代集」にもない)、月日はほぼ同じ、光景の素材も共通している。義光が、発句を詠むにあたり、前述したように古典作品の「面影を取」ったとしたら、例えばこの場面を可能性のある箇所として挙げることができよう。 
 繰り返しになるが、古典和歌・連歌・俳諧(近代の俳句ではない)は、近代人の常識たるリアリズムを基盤とする文学観では、割り切れず、理解しがたいものである。このように考え、いささか恣意的な考えを記してみた。

■執筆:名子喜久雄(山形大学名誉教授)「歴史館だより29」より
2022/12/01 09:00:最上義光歴史館

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