▼【7】 奥羽永慶軍記の「最上義光、騎馬揃の事」の地、天童の野はどこか
奥羽永慶軍記の「最上義光、騎馬揃の事」の地、天童の野はどこか【7】

7.K字名から天童原周辺を読む

天童市の郷土史家が執筆した天童の地名考によると、

(1) 字原崎(ばらざき)
中世、原崎は横道、水晶山参詣道、若松観音への参道等の交差する交通の要衡であった。地形、地勢から考えると、天童ヶ原の先の意と思われる。

(2) 字野村(のむら)
国道13号線の東方で南は藤田、北は新宿と接する。戦国時代に天童氏の家臣で野村某という者の領地であったといわれている。

(3) 字光戒壇(こうかいだん)
糠塚の北東、祈壇があったのではないかといわれてきた。平安時代と推測される土師器、住居跡が出現した「光戒壇遺跡」がある。現天童市小路から糠塚の北を通り原崎に通じる道は遺跡付近を通っている。

(4) 字藤田
戦国時代に天童氏の家臣で老野森の領主藤田内膳清勝の領地であった所といわれている。

■執筆:矢野光夫

【参考文献】
K「天童の地名考」平成9.3.30「続天童の地名考」平成11.3.31天童市旧東村山郡役所資料館発行
         

前をみる>>こちら
次をみる>>こちら
2021/04/15 11:54:最上義光歴史館

HOMEへ

(C)最上義光歴史館