▼最上義光連歌の世界A 名子喜久雄
最上義光連歌の世界A

66  かへる馬屋はのるにまかする   紹由  
67 あかずしも狩場の道の暮れわたり  義光
68  いくかか花にまくらかりけん   紹巴

    慶長三年(一五九八)卯月十九日
     賦何墻連歌      三ノ折の裏




 前句である66の大意は、「(夕暮れ時)道もたどたどしいので、馬屋に帰るのは、馬にのったまま、その歩みにまかせる」ほどである。
 この句の背景には、「韓非子・説林上」の「老馬の智」の故事がある。春秋の五覇の一人である斉の桓公が、遠征の帰りに山中で道に迷う。その時、もう役にも立たないと思われた老馬を放ち、それに従うことにより帰るを得たとのものである。
 和歌においても、この故事はすでに取り入れられている。

  後撰集・恋五 思ひ忘れける人のもとにまかりて      
                 よみ人しらず
  
 978夕ぐれは道も見えねどふるさとは もと来しこまにまかせてぞ来る
    
    返し           よみ人しらず
 979こまにこそまかせたりけれ あやなくも心の来ると思ひけるかな

などの作例がある。
 義光はこの前句を受け、「(もっと狩を続けたいのに)すでに狩場からの帰り道は、一面暮れてしまった(さあ、どのようにして帰れば良いか)」ほどの句を付ける。この句にも、「老馬の智」の故事は反映していようが、さらに注意すべき出典があろう。
 「伊勢物語・八十二段」がそれと思われる。その大略は、弟・惟仁親王(清和天皇)との皇位争いに敗れ、風雅に生きる惟喬親王と、その縁辺の人々との野遊びの様である。その中の一人に業平がいる。淀川河畔の水無瀬から交野(いずれも、現大阪府北部)で、「狩はねむごろにもせて、酒を飲みつつやまと歌にかかれりけり。…その木(桜)のもとに立ちてかへるに日暮れになりぬ。」すなわち、風雅や狩を楽しむあまり、時間は過ぎさってしまった。
 義光の「伊勢物語」摂取は、面影を取る(何となく連想させるほどの意)体のものかもしれない。ただ、68の句を考えると、(その大意は「いったい、幾日、花を求めてその下で旅寝をしていたであろうか」ほど。風流に生きた人の姿である)この推測は、あながち誤ってはいないであろう。
 改めて、この推測の裏付となる68の句の背景にある「伊勢物語」の一節を示しておく。

  いま狩する交野の渚の家、その院の桜、ことにおもしろし。

 これらの情景から「狩」に導かれて「花」の語が触発されたと理解する。義光が「伊勢物語」を念頭に置いたことを理解した紹巴の句作なのである。

■執筆:名子喜久雄(山形大学名誉教授)「歴史館だより25」より
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2018/10/11 16:22:最上義光歴史館

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