最上義光歴史館/「羽源記」に見る天文現象について

最上義光歴史館
「羽源記」に見る天文現象について
「羽源記」に見る天文現象について

 
◆「羽源記」に義光誕生のときの事として次のような記事がある。
 
「出生の日より山王権現の宮の上に白幡虚空より降り、照空を七日ありしとか」

 さて、これはどんな現象だったのか?考えられるのは、表現から見て天文か気象の現象であろう。
1.天文現象で特別なものと言えばまず日食月食が思いつく。日食は前年5月1日にあったが、天文15年にはなかった。また、月食は同年4月16日の記録はある。しかし、この月食は事実あったかどうか疑わしい。いずれにしても「照空を七日」には適合しないだろう。
2.「照空を七日」という表現に、最も妥当と思われるのは彗星出現であろう。彗星の尾が夜空に伸びているものは雲のように見えることから、伊達貞山公治家記録では、元和2年の彗星に「俗呼テ旗雲ト称ス」と書いている。『幡』は、意味も読みも『旗』と同じになるから、「白幡」が彗星を指すことは考えられる。しかし、天文15年の彗星出現記録は「日本天文史料」にはなく、彗星のカタログ、[彗星を追う・広瀬古川香西共著]にも無い。
3.他の現象
 古文書によく記録されている現象としては、他に月星接近・惑星現象・流星などがあるが、天文十五年前後五年間を見ても特別なものは見つからなかった。
 天文というより気象現象で思いつくのは、オーロラである。米沢藩家老莅戸善政(のぞきよしまさ)の「三重年表(さんじゅうねんぴょう)」で寛永12年7月に「二十六日夜紅氣満天」とあるのがオーロラであり、他にも、享保15年[上山三家見聞日記・上山市史]、明治7年[大町念佛講帳・河北町誌]等々多くの記録がある。しかし、これも天文15年の記録というものは「日本天文史料」他にも見つからない。しかし、記録が無くても、そういう現象がなかったとは言えない訳だから厄介である。
 結局、「白幡」は解明できないままである。

◆「羽源記」にはまた、慶長13年の事として、次のような記録もある。
「葉山、鳥海山といふ両峯より、光物毎夜星の如くに続いて月山の腰に見え、立石寺燈明堂の上迄布引いて光渡る、紫雲空中に充満せり」
 「紫雲」は別にして、これは何だろうか。「星の如く」というから、恒星惑星ではないだろう。「毎夜布引いて」見えるのは彗星・流星群というところか。現象の日時が不明なので、調べるのに困るが、慶長13年の光り物として、江戸京都では3月29日・4月23日・7月14日・10月3日の記録があり、いずれも、流星と見られる。流星群ならば、何日かに亙って同じ方角から出現することはあるのだが、群れらしきものの記録は見つからなかった。
 彗星では、同年5月21日に「客星東南に出現、月光の如し」、しかも数日にわたりて毎夜見えた、との記録はある。しかし、この客星については残念ながら他に記録がなく、多分木星だろうと言われている。また、同年4月13日の「今夜旗雲出現」との記録は、彗星ではなく雲のことらしい。慶長12年ならば、6月から9月までハレー彗星が毎夜現われ、明るいときは光度一等級だったらしく、国内記録も数多いのだが。

◆話は変わるが、大国富丸氏(南陽市在住)は、自分で発見した小惑星に「義光」「兼続」と命名し国際天文学連合に登録・承認された。去年(2000年)は義光と兼続が仲直りした行事もあったし、戦火を交えた二人の武将が、今では仲良く天空に輝くというのはいい話である。ただ、小惑星は大変暗い天体で、肉眼で見えないのが少々残念である。

■執筆:鈴木靜兒(山形天文同好会事務局)「館だより癸検廚茲
2007/06/16 17:18 (C) 最上義光歴史館