最上義光歴史館/館長の写真日記 令和6年4月12日付け

最上義光歴史館
館長の写真日記 令和6年4月12日付け

桜と最上義光の騎馬像


桜と最上義光歴史館


山形城の堀沿いを通る山形新幹線(旧型)


山形城の堀沿いを通る山形新幹線(新型)

 当館近辺の桜はほぼ満開で、隣接する霞城公園(山形城)では4月13日(土)、14日(日)の両日に「霞城観桜会」が開催されます。舞子花見園遊や大茶会とともに屋台が並び、花笠踊りや仙台すずめ踊りの演舞、最上義光武将隊も繰り出します。当館では100名城スタンプを設置、御城印や最上義光フレーム切手も販売します。
 この季節、気の利いた歴史博物館では、代々伝わる蒔絵野弁当などを展示するわけですが、上杉家(上杉博物館)には「竹雀紋唐草蒔絵茶弁当」つまり蒔絵の野点道具箱一式や「牡丹唐草竹雀紋蒔絵短冊箱」という風流なものもあり、伊達家(仙台市博物館)には「雪薄竹に雀紋桜枝散蒔絵書棚」という桜柄の蒔絵の豪華な書棚や「浅葱縮緬地牡丹桜に鷲模様振袖」という豪勢な桜の図柄の着物、ドローンで空撮したような「榴ヶ岡花見図屏風」というものもあります。これに対し次々と城主が替わった山形城には、徳利のひとつも残されておらず、せいぜい最上義光の連歌に「花」を詠み込んだ句が残っている程度です。山形城の遺跡調査で出てくるのも所有者不明の皿や茶碗の破片程度で、中には金貨や金瓦も出土していますが、花見にちなんだ調度品などは望むべくもありません。梶井基次郎の作品に「桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。」で始まる有名な短編ありますが、桜花爛漫の山形城跡も、深く掘れば人骨もでてくるそうです。
 有名な落語に「長屋の花見」というのがありまして、そうです、柳家小さん師匠の代名詞的な噺です。長屋の店子がそろって大家を誘って上野へ花見に行くという話で、酒、肴は全部大家持ちとなったものの、1升ビンの酒は番茶を薄めた「お茶け」。かまぼこは大根の薄切り、玉子焼きはたくあん、という具合で、「お茶け」には茶柱が、「玉子焼き」はボリボリと音をたてるという噺です。さても今時の花見はどんなものでしょうか。多分、「ソロキャンプ」ならぬ「ソロ花見」というものがくるかと。道具もウルトラライトな装備で、というかワンカップに柿の種ぐらいでも十分なはずですが、ここは「火起こし」のようななんかめんどくさいこだわりがほしいところかと。シャカシャカと抹茶をたてるとか、おもむろに団子を炙るとか、そんなところでしょうかソロ花見。
 また、何の本に書いてあったか忘れてしまいましたが、花見の仕方として、自分の桜の木を決めて、毎年そこに訪れ、その木の様子とともに自分の様子を見比べる、という見方があるそうです。年々成長し、あるいは年々衰えていく姿を見つめ、そして互いが無事であることに感謝するというもの。ですが、何らかの事情でそれがかなわなくなってしまうと、ダメージが大きいような気がします。ちなみにソメイヨシノは60〜80年で老齢期に達するとのこと、いい勝負です。
 あこがれる桜の見方としては、桜前線とともにひと月近く、日本列島を北上して見に行くというもの。なんとも贅沢な花見です。実際にこれをやってブログなどでレポートしている方がいたりします。退職後は自分もこんな旅をとも思いましたが、時間は何とかなっても、経済的にとか体力的にとか留守宅の管理とかの面倒もあり、なかなか思うにまかせません。花より団子とは言いますが、花見旅行中は、ついでにその土地の名物でもとは思うのですが、別にサンドイッチにビール程度でも十分なので。まずはとりあえず漂泊の俳人、種田山頭火の句でも。「さくらさくらさくさくらちるさくら」、さきちるさくらにくらくら、ということで。



(→館長裏日誌に)
2024/04/12 08:30 (C) 最上義光歴史館