最上義光歴史館/館長裏日記 令和6年1月4日付け

最上義光歴史館
館長裏日記 令和6年1月4日付け
〇 初市のはなし
 初市は十日町〜本町〜七日町〜旅籠町の国道112号線沿で開催されますが、山形市を知る方には、十日町と七日町とに挟まれている「本町」は市日町とは関係ないのかと思われる方もいると思います。実は本町という町名は戦後昭和のものであり、それまでは「横町」という地名でした。
 横町は、最上義光の山形城拡張時に十日町とともに移転した町で、特に市は立たない町でしたが、「仙臺越後庄内より生魚干魚塩魚」を売買する魚屋で繁盛した町で、「海はなけれども8月より5月迄は海辺のごとし」と「山形風流松木枕」にあります。
 また、紅花の最盛期である1700年代前半は、この十日町から七日町にかけて紅花市が立ち、紅花の摘花の時期は「1月の儲けが1年中の暮らし」となったとそうで、「京都より紅花仲買下りて、仲買商人乃有様狂人の如く、何れ餘国になき珍敷商の模様なり」と「山形風流松木枕」にあります。
 一方その頃の山形城は、享保4年(1719年)の堀田氏時代の城下絵図によると、郊外の武家屋敷地はほとんど姿を消し、三の丸内は空き屋敷が目立つようになりました。明和元年(1764年)からの4年間は幕府領となり、二ノ丸・三の丸の武家屋敷地は大半が取り払われ、城下住民に請け負わせて田畑を開かせたとあります。その明和年間の地図と思われる「羽州最上御城内乃図」も今回の企画展で展示していま す。
 山形城の絵図からもその変遷が見て取れるのですが、この流れはもしかして「民間活用、小さな政府」ということなのかしらん。

〇 堺石(さかいいし)のはなし
 かつて土地関係の仕事を担当していたことがあったのですが、この十日町とは別の場所の堺石で、ちょっと戸惑ったことがありました。土地の現地調査に行くとまず、その土地の境界を確認するのですが、ある畑地で、境界を地権者の方に確認すると、そこの石が境界だと先代から聞いている、と言われたのですが、見るとそれは大きめの漬物石程度で、その気になればいくらでも動かせそうなものでした。それもさることながら問題は、この石のどこの部分が境界になるのか、中心なのか縁なのか、とりようによっては30センチぐらいはズレてしまいます。
 また、田んぼの境界も、土地改良をした場所でも、いつのまにか畦畔が移動していることも珍しくなく、まずは1メートルくらいの深さで境界付近を掘ります。すると野球のバットを一回り大きくしたような木杭があらわれてきます。松の木であれば50年くらいは腐らずにあります。それを掘り起こして新たな杭を設置したりするのですが、当然、数センチ単位ズレます。まあ、登記面積としては宅地および10平方メートル以下の土地以外は、小数点以下を切り捨てることになっているのですが。
 宅地の場合は、やはりシビアな場合があります。よくあるのが、道路との境界がわからない、ブロック塀の内、外、真ん中のどこが境界かわからない、といったもの。意外とトラブルになるのが、本家から土地を分けてもらった分家同士が隣接していて、その境界があいまいな場合、仲がいいとその場で決まるのですが、そうでないこともままあります。これが山林となると、立木が堺になっていることがあり、相続をうけた山林などでは、その木がどれかわからない、ということもあります。
 絵図の場合、まずは位置関係がわかれば、距離的な精度は適当でもいいのですが、年貢がからむとなるとそうはいきません。戦国大名の時代になると、独自の領地高権(「切り取り次第」というアレです)をもつこととなり検地がなされました。織田信長が行った検地では、奉行人であった木下藤吉郎も実務を担当しており、その後、太閤検地、つまり秀吉による検地がなされます。
 当初は,家臣に自分の所領の明細を書き上げさせる指出(さしだし)検地が多かったのですが、1594年に基準や方法がほぼ確定し、慶長〜元和(1596年−1624年)に全国規模の検地が実施されました。
 検地には間竿(けんざお)や間縄(けんなわ)が用いられました。間縄とは1間ごとに印を付けた縄ですが、今も使われる言葉に「縄伸び」とか「縄縮み」というのがあります。
 「縄伸び」というのは、検地の際、年貢の負担を軽減するため、実際よりも長めに目盛りをつけた縄で、面積を小さめに測量したことに由来します。一方、縄縮みは、田畑などの小作地の場合、地主が多少地租を多く納めても、小作料をそれ以上に納めさせたい場合などに面積を実際より大きくしたものです。今でも、固定資産税のことを考えれば縄延びしたほうがよく、土地を売ることを考えれば縄縮みした方がいいのでしょうが、近年は課税も売買も地籍調査を含め実測でなされることが多いです。
 なにはさておき、実測にいたる前提は境界の確認です。境界がわからないことには、長さを測ることができません。その境界沿いには縄を張ることもあり、つまり「縄張り」ですが、「俺の縄張りを荒らしやがって」と言うその筋の方を引き合いに出すまでもなく、その重要性はご理解いただけるかと思います。
 この境界問題というのは、ロシアとの境界、中国との境界、韓国との境界をはじめ、繁華街や隣家レベル、場合によっては夫婦間や職場の机レベルでも抗争の原因となることがあります。たかが境界、されど境界、とでも言うべきでしょうか。まずは、世界人類が平和でありますように。

2021/01/04 13:00 (C) 最上義光歴史館
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