最上義光歴史館/義光文書と古語辞典

最上義光歴史館
義光文書と古語辞典
◆◇◆義光文書と古語辞典◆◇◆

 日本語のある語がいつ発生したかという問題は、日本人の生活や思考・感情に関連する重大なことがらである。
 たとえば、今の日本でしょっちゅう使われる「がんばる」という単語などは、そう古い言葉ではないようだし、初めはそれほど頻繁には使われなかったらしい。ということは、古き日本人はそれほど「がんばる」必要がなかったからかもしれない。
 語彙や語法のできるだけ早期の用例を見つけ出すことは日本人の生活と心の変遷を明らかにすることにつながり、国語学者(辞書編纂者)にとっては大きな関心事なのだ。

       *

 何年か前にびっくりしたことがある。
 最上義光の手紙の中に「けりゃう」なる語を見つけ、手元にあった「岩波古語辞典」を引いてみたら、なんと当の義光の手紙そのものが用例として引かれていたのだ。

けりゃう【仮令】一[副]
 ,燭箸┐弌瞥冦磧瓠嵒姿花伝」ほか)
 △燭箸ぁかりに。よしんば。(用例=「正法眼蔵随聞記」ほか)
 かりそめにも。かりにも。「どなたにも理はひとみち々々有る事に候。 
  − 双方をくらべ理の少なきを非分なりと申すばかりに候」
 (伊達家文書一、最上義光書状

 国語学者の博捜ぶりに舌を巻いたのだったが、義光の文章がこういうところで役立っていると知ったのは楽しかった。
 さて、義光の遺著『連歌新式注』山形市所蔵本の解読作業をしているうち、気になる言い回しを見つけた。

 一 はつせ寺とかとかすれハ山類也 たゝ泊瀬とはかりハ非山類(下略)
   [写本34丁ウラ=第230条]

 現代語では「AとかBとか」という言い方は並列の表現として多用されるが、古典では管見にない。小学館「日本国語大辞典」[2004/第2版]で見ると、用例は寛永十五年(1638)刊の「蒙求抄」から「霊とか劼箸せよとあるほどに」が引かれている。他の大規模辞典でも同書から採っているところを見ると、現段階ではこれが最古の用例なのだろう。
 だとすれば、文禄四年(1595)の義光の『連歌新式注』は、これをさかのぼること40余年。今後の辞典では用例の初出となるかもしれない。

■執筆:長谷勘三郎「歴史館だより17/研究余滴10」より
2010/09/07 13:09 (C) 最上義光歴史館