最上義光歴史館/館長裏日記 令和5年12月21日付け

最上義光歴史館
館長裏日記 令和5年12月21日付け
〇 クリスマスの思い出
 日本で初めてクリスマスが祝われた日とされるのは1552年12月10日(天文21年12月25日)で、周防国山口でイエズス会の宣教師が日本人の信者を招いて降誕祭のミサを行ったとのことです。山口市では「12月、山口市はクリスマス市になる。」と題して様々なイベントが開かれるとか。ちなみに2023年のクリスマスの飾り付けのトレンドは、バロックスタイルとのことですが、バロック時代というのはちょうど日本では戦国時代にあたるわけで、「あ〜、今年のクリスマスのトレンドは戦国時代なんだよなぁ」、と勝手に話を結び付けています。
 自分が子どもの頃のクリスマスというと、ペラペラのクリスマスツリーにモールと豆電球を巻き付け、バタークリームのケーキと鶏のもも焼き、サイダーにカラメルで着色した飲み物が、下手すると3日3晩、この残り物がご飯のかわりという日が続いたりしました。まあ、高度成長時代ならではの、豊かと言えば豊かな時代の話なのかもしれませんが、神に祈るどころか、キリストが何者かもわからずクリスマスを迎えていました。
 その頃、父親は父親で、ボーナスは飲み屋のツケの支払でなくなっていて、「俺は自分を育ててくれた町にお返しをしているのだ」とかなんとか都合のいいことを言っていましたが、クリスマスには、どこかの飲み屋でもらってきた銀色の三角帽子とクラッカーを手土産に、天井にぶら下げるモールをカバンに巻き付けて深夜のご帰宅という状態で、これも豊かと言えば豊かな時代の話だったかもしれません。

〇 知識をアップデートする話
 クリスマスについては、12月25日はキリストの誕生日でないだの、クリスマスイブは前夜祭ではないだのと、誤った常識にダメだしをしたところですが、昭和の時代に習った歴史知識もアップデートが必要です。
 ここ数年、話題になったものとしては、「いい国つくろう」鎌倉幕府は1185年、聖徳太子は「厩戸王」、国宝「伝源頼朝像」は源頼朝の肖像ではない、そしていま一番ホットなのが「仁徳天皇陵」ですが宮内庁が管理しているため謎が多いとのこと。
 そして最近知ったのが「士農工商」という言葉が教科書から消えたこと。かつて、「農民は神聖な米を作っており、金にまみれた商人より身分が上だ」とか、「裕福な商人を農民がうらやむことがないようにした」とか、そんなことを教わったような記憶があるのですが、このような身分を発令した歴史的事実はそもそもないことが、近年の研究で明らかとなったそうです。近世の身分職業は単純に「士農工商」で表してはいないこと、「武士」と「それ以外」との上下関係しかなく、「士-農-工-商」のような序列はないこと、というのが理由です。「士農工商」の由来そのものが、あらゆる職業の民を表現している古代中国からの言葉とのことです。
 戦国時代は、足軽などは武装した農民であった者も多く、武士と百姓との違いは曖昧でしたが、太閤検地や刀狩によって武士と百姓が分離され、固定化されていったそうです。また、町に居住する者を町民、農村に居住するものを百姓とし、百姓という言葉は農業に限らず様々な職業として使っています。なお、1842年9月の御触書に「百姓の余技として、町人の商売を始めてはならない」とあり、これは農業の衰退に繋がる事を危惧した江戸幕府の対応策とのことです。百姓・町人間の移動もなくなっていきます。
 さて、教科書と歴史の話ですが、キリストも釈迦も実在したらしいですが、「キリストは、処女マリアに天使ガブリエルが降り、マリアが聖霊によってキリストを妊娠したことを告げ、またマリアがそれを受け入れて生まれた。」とか、「お釈迦様は、母親である摩耶夫人がルンビニーの花園で休んでいたときに、脇の下から生まれた。そのときに9匹の竜が天から清浄の水を注ぎ、生まれ落ちたお釈迦様はすぐに7歩歩き、右手で空を、左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と言った。」とかいう話もついてくるわけで、さすがに教科書では伝説との説明がなされるのでしょうが、何をどう信じたらいいものか。まあ、多少の方は「神も仏もない」という目にあっているとは思うのですが。

〇 いつものことわざ
 さて最後に、いつものようにことわざを。「仏ほっとけ、神構うな」という、ことわざというより駄洒落のような言い回しがあります。「ほとけほっとけ、かみかまうな」と3回くらい唱えれば何かありがたみがでてくるような。このことわざは、信心も信仰も度が過ぎないほうがいい、ということを教えています。
 殉教の話とかパレスチナ問題とかを前にして、こう言うのもなんですが、サスティナブルな世の中のためには、クリスマスを祝い、除夜の鐘を鳴らし、神社に詣でる、といったぐらいの寛容さがよろしいのかと。なにを隠そう私も、山形の神社とパリの教会で結婚式を挙げており、ゆくゆくは最上家ゆかりの寺に葬られるのかと。寛容なのか、節操がないのか、まあ、根っからの「転び○○〇」であります。
 とにかく宗教経験には乏しいのですが、小学校高学年の頃、日曜日にただただ家にいてもろくでもないということで、しばらくプロテスタント系教会の日曜学校に行っていたことがありました。牧師さんは本当にいい方だったのですが、当然、賛美歌などはろくに歌えず、まして三位一体とはどういうことなのか、なんかうっすらと鳩と光の図像が浮かぶのですが、これ以上はいまだに謎のままです。
 ちなみに「一向一揆」とか「島原の乱」とか、宗教が原因のように扱われていますが、もとはと言えばどちらも年貢に対する不満であり、その理不尽さへの思いが宗教に集結したとも言えるわけです。どこぞの国でも、理不尽な税制が蔓延りつつありますが、このままでは一波乱に及ぶかも。歴史はくり返すそうです。
まずは、世界人類が平和でありますように。


2020/12/21 17:00 (C) 最上義光歴史館
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